まちゃってどんな人物?

はじめまして、まちゃです!

現在、3歳の双子をワンオペで育てながら
月平均30万円を稼ぎ、 週3〜4日はWebデザイナーとして活動しています。
残りの3〜4日は家族との時間や、自分の時間を満喫しています。

わたし『まちゃ』の
これまでの人生やブログを始めた理由、
そして何の取り柄もないわたしが週3〜4日の稼働で
月平均30万円を稼げるようになるまでの経緯を2回に分けてお話しします。


今回は、『自己紹介〜好きなデザインで初仕事を取るまで』についてお話ししていきますね!
少しでも参考になったり、共感してもらえたら嬉しいです!

目次

まちゃとはどんな人物?

あらためまして、
Webデザイナーの『まちゃ』です!

1985年生まれで、現在39歳。

今は夫と3歳の双子との4人暮らし。
夫は自営業(サービス業)で
平日は毎日22時以降に帰宅し、土日祝日やGW、
お盆休みなどの連休もありません。


そのため、ほぼ毎日ワンオペで育児をしています。

お仕事は月平均30万円ほどで、週に3〜4日はWebデザイナーとして活動して、
残りの3〜4日は家族や自分の時間を満喫しています。

ブログを開設した理由

先日、オンラインスクール内で

営業を始めてからの一年間は
メンタルが上下していたけれど、
それをどうやって乗り越えたのか?

というお話をさせていただく機会がありました。

ありがたいことに、

・目標にします!
・憧れです!
・理想の働き方です!

といったお声をいただきました。



そんな声を聞くうちに、
「一人でも勇気付けられるような発信ができたらな。」と思ったことがきっかけです。



しんどい時をどう乗り越えたのか、今の働き方に至るまでの道のりを、
今後発信していくので少しでも参考になれば嬉しいです。

絵心が皆無なのに、なぜwebデザイナーになろうと思った?

小さい頃から、絵心はアメトークの「絵心ない芸人」にも負けないほど皆無で、
学生の頃の美術の課題はすべて友達に描いてもらっていました。


最近では、
パンダが大好きな子供に絵を描いてあげたら、
あまりの出来に大泣きされて脱走されたほどです。笑


そんな絵心皆無なわたしですが、
旅行のしおりを作ったり、
友達の結婚式のアルバムを作ったりするのが好きで


「絵は描けないけど、
パソコンで何か作ってみたいな」


とその頃から興味を持ち始めました。


そして短期留学をきっかけに、

『もっと自由に働きたいな』

『上司の顔色を見ながら働くのは嫌やな』

『決まった時間に決まった場所で、同じことをずっとやり続けるのは辛いな』


と思うようになり、
在宅でできる仕事を探していたところ


webデザイナーという言葉に出会い、


「わたしが探していたのはこれや!」


と思って、独学で学習をはじめました。


これが、わたしがWebデザインを始めた
きっかけになります。

まちゃの半生

ここからはわたしの半生について書いていこうと思います。
なんともない普通の人生なので、興味のない方はスルーしてください。

生まれてから中学生までのわたし

1985年、大阪で3400gで生まれました。

幼少期は、3歳の発表会で大太鼓を担当し、
クラスでは先生の代わりにみんなに掃除の指示を出して、
自分は掃除せずにトイレに行くようなジャイ子キャラでした。笑

話し声や笑い声が園の外まで聞こえるくらい、
元気いっぱいな女の子。

粘土で作る作品展では、
みんなが粘土を一所懸命こねて作品を作っている中、
わたしは渡された長方形の粘土をそのままドン!と置いて
『ベッド』という名前で出品するくらい
不器用で大胆な性格のおてんば女子でした。


小、中学生の時は『ザ・スポーツ少女』。

小学生の時は、放課後やお休みの日のすべてを
キックベースの練習や試合に費やし、

なみはや国体で優勝したり、大阪府選抜に選ばれたチームで
キャプテンを務め、全国大会2位になるほど真剣に取り組んでいました。

中学生では、最初はバドミントン部に所属しましたが、
3回目の部活の最後に顧問の先生から
「次回、それぞれの目標を聞く!」と言われ、
「目標なんてないなー」と思い即退部。


その後、担任の先生に誘われて陸上部に入部しました。

陸上部では、「円盤投げ、リレー、走り幅跳び」を専門に毎日練習。


走るのが嫌いだったので円盤投げを選んだはずが、
結局毎日たくさん走らされることになり、
過酷な練習のせいで、毎日口の中は血の味がしていました。
(懐かしい〜)


学生時代は
「明日休みや!やったー!!」
なんていう気持ちは1ミリもなかったです。笑


高校時代

計算は得意でしたが、社会と理科は本当に苦手だったので、
消去法で商業高校に進学。

高校時代は部活には入らず、小さい頃から憧れていた
「スーパーのレジ打ち」のアルバイトを始めました。

飲食店のアルバイトもしましたが、まったく気が利かず、すぐに辞めたので
結局3年間はほぼ、スーパーでレジ打ちをしていました。

この頃、吉本芸人にハマって
バイトのない日は毎日NGK(なんばグランド花月)に通って、
芸人さんの出待ちをしていました。
(楽しかったな〜)

学習や資格は「留年しなければいいや〜」というレベルで、
バイトと遊びに明け暮れるフツーの女子高生でした。


初めての就職

高校卒業後、
早く自分で自由に使えるお金が欲しくて、大学には行かずに就職しました。


就職先は平均年齢50代の鉄道部品メーカーで、
商業科卒の利点を活かせる仕事はなく、営業事務として働く日々。


21歳の時、当時の彼氏に振られた傷心旅行で、
友達と初めての沖縄旅行へ。

大阪とはまったく違う景色と、ゆったりとした時間の流れに
現実逃避ができて
「月一で旅行いけたら最高やん!」
って旅行の魅力に取り憑かれたのです。


この頃から旅行が好きになり、
毎年、海外旅行2回、国内旅行2回、
さらにスノーボードやウエイクボードなど、
アクティブな青春時代を送っていました。


旅行の度に手書きのしおりを作るのが習慣になり、
それがのちに、今の仕事につながるとは、この時は想像もしていませんでした。




気づけば、初めて就職した会社に13年間勤めていました。
(就職が決まったとき、担任の先生に「すぐに辞める方法」を聞いていたのが懐かしいです。笑)


一度目の結婚&離婚

「30歳で結婚したい!」と焦って、当時付き合っていた彼と結婚しました。

盛大に結婚式を挙げましたが、結婚式の前からケンカが絶えず
新婚旅行先のモルディブでは


ホテルの部屋からスーツケースごと外に投げ出され
2時間以上も部屋に入れてもらえないという事件がありました。笑

お金については、結婚前に

「給料は手取り30万円で、役職ついてるし、今度昇給もあるねん!
もちろんボーナスもあるから心配せんでええよ!」


と言われていましたが、実際に結婚してみると、


貯金ゼロ、給料はバイト並み、
さらに彼はジム好きで毎月給料以上の金額を自分のカラダに投資。


貯金もなかったので、結婚式と新婚旅行の費用は全額わたしが負担することに。。。

えぇー話が違うやん!!


最後の方は、わたしの退職金までもあてにしてきたので、
さすがに我慢の限界で離婚を切り出しました。

妊活も頑張りましたが、なかなかうまく行かず
結局、結婚生活は2年で終わりを迎えました。

ここには書けないくらいのパンチの効いた話はまだまだあります。
(姑との戦い、雑草との戦いなどなど)

要望があれば番外編として書きますね!笑


人生の価値観が変わった短期留学

離婚後、メンタルの疲弊&スーパーニートだったこともあり、
前からやってみたかった海外での長期滞在をすることにしました。


ワーホリの年齢制限を超えていたので、1ヶ月の短期留学をすることに。
(ちなみに、この時初めてワーホリに年齢制限があることを知りました。笑)

ここで私の人生の価値観が
大きく変わりました。

クリスマスシーズンだったこともあり、
「波乗りサンタがみたい!」という理由でオーストラリアのゴールドコーストへ。


英語は「Hello!」とか「Yes!」くらいしか話せないレベルでしたが、
老夫婦のホストファミリーの家に1ヶ月間お世話になりました。


当時オーストラリアは水不足で、
「シャワーは1日3分まで」というルールがあり、


最初は猛スピードでシャワーを浴びても5分が限界で
シャワー室から出ると、ホストマザーが腕組みをして待ち構えていて
「もっと早くしなさい!」と怒られました。。

でも、人って不思議なもので、毎日3分以内に終わらせよう!と決意していたら、
いつの間にかできるようになっていたんです。



現地の人たちは朝5時頃に起きて、
仕事前にジムや海岸でトレーニングし、
残業はせずに、毎日クラブでお酒を飲んで楽しくおしゃべりしたり、
海岸ではしゃいだり、とにかくみんな毎日楽しそうに生き生きとしていました。


その姿を見て


「わたしもこんな風に、
生き生きとした楽しい生活を送りたい!」


と思うようになりました。



1ヶ月しかオーストラリアにはいなかったのに
日本に帰ってくると逆ホームシックになってしまい

・もっと自由に働きたいな
・上司の顔色を見ながら働くのは嫌だな
・決まった時間に決まった場所で同じことをずっとやり続けるのは辛いな


と今後の働き方や生き方について真剣に考え始めました。


勢いで行った短期留学で、わたしの人生を大きく動かし始めたのです。


ブラック企業に就職。独学でデザイン学習開始

留学後、SEO会社に経理として就職しました。
もうこの会社がブラック企業すぎて、、


・毎日社長は怒鳴る
・社員同士で胸ぐら掴み合いのケンカをする
・お金は平気で横領
・残業は毎日日付が変わるのが当たり前

という環境でした。



SEO会社ということもあり、社内にwebデザイナーの方がいました。

「webデザイナー」という職業があることを、
32年間生きてて、この時初めて知り、興味本位であれこれ質問しているうちに


「この仕事、私やってみたいかも!」


と思うようになり、勉強方法を教えていただくことに。


そこから独学でデザイン学習を開始。
まずは、photoshopとIllustratorの本を買って勉強してみることにしました。


ちなみに、このSEO会社は1年で退職しました。


デザイン初仕事、コーディング学習開始。妊娠発覚

SEO会社を退職し、派遣で地方テレビ局の報道部に就職しました。


入社まもなくコロナが大流行し、報道部ということもあり毎日ピリピリムード。


出社時には毎日体温検査があり、
報道部の一員としてコロナにかかるとニュースになって、大迷惑をかけるので
気が抜けない毎日を送っていました。


部長が『マスク警察』と化し、心身ともに疲弊していく中で、
「早く手に職をつけて家で仕事ができるようになりたい」と強く思うように。


そこで、平日は朝6時に起きて2時間、夜は3時間、休日は一日中デザインの学習をしていました。


photoshopとIllustratorの学習を一通り終えると、
すぐにココナラにスキル出品!!
※スキル出品とは
自分の得意なことやスキルを売って、必要としている方に買ってもらうこと。


早速ご依頼をいただき、
初のデザインの仕事をゲット!!!
(いえーい!!!!)

内容は『チラシの一部を少しだけ変えてほしい』というものでした。

すぐに納品し、お相手にも感謝されたことがすごく嬉しかったし、



「わたし、この仕事やっていこう!!」



と自信に繋がりました。


その頃、通院いた整骨院でも


「わたしデザインの学習してます!」


と言って、
無料でチラシを10枚作らせてもらいました。
(今思うと、少しは金額いただいてもよかったな。。)


さらに、マッチングアプリで経営者を探し、デザインを学習していることをアピール。
(ほんとは使い方ダメかもやけど、、)


そこで出会った人から


「チラシ作ってや!お金払うからさ。
3万でいい?」


と急に言われ、


「なに、この人!?!?」


と思いつつ、ビビりながらも必死で作って納品。
(実はこの人が今の夫。私と付き合うためにわざと仕事をお願いした。と結婚してから聞かされました)




これでまた自信がついて


「わたしデザイナーやってるねん!」


と周りに言いふらしていました。


この時のわたし、
完全に調子に乗っていました。笑


この頃は謎の自信に満ち溢れていましたが、
今見ると、「よくこんなんでデザイナーやってるって言ってたな」と思うほど、
本当にひどすぎるデザインでした。。。


その後、Webデザイナーになるにはコーディング知識も必要だとどこかのブログで見て、
HTML、CSSの学習を開始。


プログラミングのことをブログやYouTubeで発信されていた
「マナブさん」が運営するcodebeginに入会し、
この頃からX(旧Twitter)で「今日の積み上げ(行動したこと)」を投稿し始めました。


仕事の合間や、休みの日にコーディングの学習をひたすらやる日々が続いていたある日、



「なんかずっと気持ち悪いなー。車酔いしてる気分。。」

「え!?わたし妊娠してるやん!!!」



という感じで、テレビ局退職日に妊娠が発覚。


当時の彼(今の夫)に


「デザイン頑張りたいんやろ?一緒に住んで生活費払うから仕事辞めて頑張ったら?」


と言われて、退職して頑張ろうとしていた矢先の出来事だったので、正直戸惑いました。



夫に
「やりたいことがあるんやったら、無理して産まなくていいよ!」



と言われましたが、
自分の子供を育てたいという強い思いがあったので


「は?なに言ってるん?産むに決まってるやん!」と言って終了。笑


その後はつわりがひどく、学習どころではなくなり、
ずっと横になってフライドポテトを食べながら「桃鉄」で気を紛らわして過ごしていました。

ここで私のデザイン学習は
一旦お休みすることになります。

コロナ禍での双子の出産。ほとんど記憶にない育児

妊娠初期は、つわりがひどく寝たきりの生活をしていました。

妊娠8週目までは1人だったはずが、
妊娠10週目のエコー検査で、なんと同じものが2つ映っているではありませんか!


先生:
「では、元気に育っているか診てきますね〜」


私:
「ん?同じものが2つある、、??」


先生:
「え!?うそ!?ちょっとカルテ持ってきてー!!!(焦った様子)」


私:
「え!?何が起こってるん!?!?!?!?(不安..)」



こんな感じで、
双子を妊娠していることが発覚しました。笑



その後、双子のうちの1人のへその緒の位置に問題があることがわかり、
4つの病院を回ることになりました。



先生からは


「いつ入院してもいいように、毎回入院セットを持参してください」


と言われ、1週間に2回、片道1時間かけて病院に通っていました。


28週の検診の時に
「毎回入院セットを持っていっても結局入院しやんから、今日は持って行くのやめよう!」
と思って、母子手帳だけ持っていくと


先生:
「今すぐ入院してください。入院セット持ってきてるよね!」


と言われ、入院セットを取りに帰る間もなく、そのまま管理入院することになりました。
(何事もなく帰宅すると思っていたので、ベランダにお布団も干していました。。)

急いで仕事中の夫に連絡し、夜中に入院セットを持ってきてもらうハメに。。


そこからはコロナ禍のため、面会は一切禁止。
荷物の受け渡しも看護師さん経由で、まるで監禁状態。

マタニティフォトや、行きたかったお店もすべて諦めて
出産まで病院食の日々がスタートしました。

予定では2ヶ月の入院でしたが、1人の命が危険だったため
妊娠30週1日で緊急帝王切開となり、

998gと1282gの小さな命が2つ、
この世に舞い降りました。
(今では元気いっぱいにはしゃぎまくっています!)



NICU(新生児集中治療室)に2ヶ月間お世話になり、
その間は、我が子を抱っこすることも、直接母乳をあげることもできず、
搾乳を病院に持っていった時に、
病院から支給されるiPadで15分間だけ双子の成長を見ることができました。


出産から2ヶ月後、ようやく退院できましたが、
そこからの記憶が本当にありません。笑


親にも頼れず、夫は休みがなく、毎日日付が変わるか変わらないかくらいの時間に帰宅。


とにかく、ただ生かすことだけ考えて、毎日必死に育児をしていたことだけ覚えています。


この時はデザインの『デ』の字も頭をよぎりませんでした。笑


コーディン学習再開。挫折

双子が保育園に入園し、ようやく自分の時間が少し取れるようになったので、
コーディング学習を再開。


再開したはいいものの、コーディングを学習し終えても、
どうやって仕事に結びつければいいのかわかりませんでした。


そんな時に、久しぶりにX(旧Twitter)を眺めていると、


『#codolife』のハッシュタグが目に留まりました。


調べていくと、『codolife(コードライフ)』は営業支援コミュニティで、
みなさんが毎日楽しそうに積み上げを宣言したり、
励まし合ったりしている投稿見ているうちに、


「わたしも入って頑張りたいな。」


と、興味がわいてきたタイミングで、募集の案内があったのです。


運営者のはらさんとは、codebeginで一緒だったこともあり、
「はらさんについていけば、大丈夫!」という感じで即入会を決めました。


それから私もX(旧Twitter)で「今日の積み上げ」を書くことを再開。


同じくコーディング学習している仲間や、
すでにコーディングを仕事にされている方たちと
毎日オンライン上で一緒に学習をして、楽しかったのですが

IllustratorやPhotoshopなら
マウスを動かせば、すぐに解決できることもコーディングだと、

「どこを修正すればいいの?ここかな?あれ、変われへん。。」

の繰り返しばかりで

「わたしには無理や。。」

と段々やる気がなくなり、挫折しました。



知り合いのシステムエンジニアの方が
「コードをずっと見てたら、日本語に見えてくるよ!」って言ってたんやけど、
果たして本当なんやろか、、、?


本格的にデザインの学習開始

もともとWebデザイナーを目指していたので、
コーディングの学習中もずっと


「早くデザインしたいなぁ〜」
「デザインやったらもっと楽しく学習できてるんやろな〜」


と思い続けていました。


そんな時「#デザトレ」というハッシュタグを
X(旧Twitter)でちょこちょこ見かけるようになり、たどっていくと
「ちこさん」という方に行きつきました。


ちょうどプレゼント企画をされていたので、
早速内容をチェック。



そこで紹介されていたのは
「デザインの学習方法、仕事の取り方、デザイナーの未来」についての情報でした。



内容を見て行くうちに


「私にもなんかできそう!」


と、惹き込まれている自分がいました。


さっそく、ちこさんが紹介されていたデザインの本をすべて購入し、勉強を開始しました。



コーディングの模写では、参考書を見ても解決しないことが多く悩んでいましたが、
デザインの模写では本を見ると解決できるんです!



昔は独学でひどいデザインをしていた私が
本を見ながら模写するだけで、プロのようなデザインを作れるなんて!


ちこさんが紹介されていたデザインを真似るだけで、素敵な作品が完成しました。



「この人すごい!!」
「絶対にちこさんから学びたい!ちこさん以外は考えられない!!」



と思い、募集が開始されるのを心待ちにしていました。


どうしても入会したかったので、DMを送ったり、いいねやリプをしたりして存在をアピール!
そして、募集が始まると同時に、長文のメッセージを送り、無事に入会が決まりました!!!
(やったーーーーーー!!)

ここからは、しんどいけどめちゃくちゃ楽しい、
まるで部活のような4ヶ月間が始まります。




毎週月曜日の20時から授業があったので、
20時までになんとか双子を寝かしつけて授業に参加していました。


毎週の授業が楽しみで、宿題もた〜くさんあったので、
双子が起きている間は様子を見ながら、キッチンでPCを開けて学習。
マウスパッド代わりに鍋敷きを使っていました。笑


毎日朝4時から朝活、日中や寝かしつけ後にもずっと学習していましたが、
楽しすぎて全然苦だと思いませんでした。



そして、4ヶ月の学習が終わり、いざ営業開始!!
ここから、わたしの人生で最も波乱万丈なストーリーが始まります。


ちなみに、デザトレに入る前に一番調子に乗っていた時のデザイン(Before)と、デザトレで学んだデザイン(After)がこちら↓




デザイン学習を終えて、いざ営業開始!!

営業を「やり始めた時」の目標は?

4ヶ月間のデザイン学習を終えて、
2023年2月から営業を始めました。

この時の目標は


年内に月収50万円


でした。



営業メールを1日15件送ることを目標に

毎日、制作会社のホームページから直接メールを送ったり、
デザイナーを募集している求人サイトから応募していました。


営業を始めた当初は、
営業メールを1件作って送るのに2時間かかることもありました。


返信が来なくて落ち込む

営業メールを送りはじめて2週間は、まったく返信がありませんでした。

メールを送れば返信が来るものだと思っていたので、

「なんで返信けえへんねやろ?」


と落ち込んでいました。



さらに、同じ時期に営業を始めた方たちが


「面談がありました!」
「業務提携しました!」


と報告されているのをみて
もっと気分が落ち込みました。

今思えば、
タイミングって人それぞれだと思っていて、

たとえその時に返信が来なくても、1ヶ月後にめちゃめちゃ面談している人もいれば
3ヶ月後、6ヶ月後にようやくメールの返信が来る人もいます。


最近も、10ヶ月前に送っていた営業メールに返信があり、
ありがたいことに案件をいただけました!


その時に返信が来なくて落ち込む気持ちもわかるけど、
とりあえず数を送らんことには成果は得られないなって感じます。


当時、「営業は数を送ることが大事!」と
みなさんが口を揃えて言っていました。


いつ返信が来るかわからないので、
とにかくたくさんの会社に営業をすることが大事やなと、今となってはすごく思います。


初めて受注した仕事は?

営業を始めてから2週間で、初めて案件を受注しました。

記念すべき初案件は


LP1本で、約40,000円。(納期は4日)


当時の正直な気持ちは、、

お仕事いただけて嬉しかった反面、
当時のわたしの作業スピードでは、
Webサイトのトップページを制作するのに2週間かかっていたので
不安がたくさんありました。

・納期に間に合うかの不安
・きちんと最後まで納品できるかの不安
・求められたデザインを作れるかの不安


不安だらけで心臓がバクバク、手も震えながら文章を打っていました。

でも、そんなこと考えてる暇はなく、やらなきゃいけない状況だったので
無我夢中で初案件を終えました。


さいごに

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!


なんの取り柄もないわたしが、好きなデザインで初仕事を取るまでをご紹介しました。

同じような境遇の方に少しでも参考になると嬉しいです!


次回は、

初案件納品後に経験した『3つの地獄』

について発信していきますね!

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この記事を書いた人

3歳双子を育てながら、フリーランスWebデザイナーとして活動しています。
好きな時間に好きな仕事ができる喜びと、その裏側にあるリアルな日常を包み隠さずお伝えします。
デザインのこと、ママならではの働き方について発信していきます。

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